学生時代から国内外を問わずバックパッカーで渡り歩いたという樋口院長。旅での一番の思い出は、人との出会い。言葉は通じなくても心で通じ合う、その瞬間を味わうと、また次への旅の意欲が掻き立てられるそう。今回は、そんな旅での貴重な体験を教えていただきました!


中国に行ったのは、1985年。当時、個人旅行者にとってはビザが降りず日本から簡単には行けなかった時代である。シルクロードに向かう列車に何時間も揺られている間に、乗り合わせた現地の中国人と仲良くなった樋口青年。その中国人が、なんと北京の自宅に招待してご飯をごちそうしてくれることに!当時は中国では外国人を家に招きいれる習慣がなかっただけに、これは非常に貴重な体験。一般家庭には電話がなく、突然の訪問となったが、炒め物や蒸し物など、豪華な料理をテーブルいっぱいに出し、心からもてなしてくれたそう。これほどまでに歓迎してくれるほど仲良くなった樋口青年の人柄が感じられます。この他、北京以外でも西安やウルムチで中国人に招かれ、家庭でご飯をごちそうになっているそうです。ちなみに、中国から帰国する時、航空券の予約が知らない間にキャンセルされていることが分かり、フェリーで上海から数十時間かけて日本に帰ることになったそう。さすが中国、旅の最後まで奥が深いですね。



場所は変わって日本での旅。学生時代、西表島から船で少し行ったところに無人島があることを発見し、さっそく友人と向かった樋口青年。その無人島で3日間滞在した。その島には野生の馬やウサギが生息しており、お腹がすいた樋口青年はもう少しで狩りをしようかと考えたそうです(もちろん馬とウサギは食べていません!)。
その他、樋口院長は瀬戸内海の無人島に一人で渡り、3日間過ごしたことも。穏やかな雰囲気の樋口院長のイメージからは想像できません!





これまで様々な国を渡り歩いた樋口院長。旅での経験は院長に何をもたらしたのか?「旅では楽しいこともあるけれど、予想もしなかったトラブルが起こることもある。言葉も通じない、ガイドブックもあてにならない、そんな時に臨機応変に対応できる力が身についたと思います。」想定外のことは旅先だけではなく、医療の現場でも起こる。マニュアルだけでは対応できないそんな時こそ、真の医師としての力が問われるのではないか。「パターン化した典型的な治療法だけでは解決できない場合でも、あらゆる方法を駆使して最善の方法を考えます」。医療の現場でも探究心を忘れない院長の姿がそこにありました。